1949-07-12 第5回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号
また與党の諸君にとつては大いにあるかもしれないが、今度のような事態をもつと高い観点から見ることこそ、本考査委員会の当然の任務でありますので、この点についでは政府が法務総裁に聞くのとは違つて、國会の特別委員会が聞くのであるということを十分考慮された上に法務総裁に聞く必要もありましようし、また発言させる必要があると思う。この点に若干問題があると思つたので、まず第一に指摘した点であります。
また與党の諸君にとつては大いにあるかもしれないが、今度のような事態をもつと高い観点から見ることこそ、本考査委員会の当然の任務でありますので、この点についでは政府が法務総裁に聞くのとは違つて、國会の特別委員会が聞くのであるということを十分考慮された上に法務総裁に聞く必要もありましようし、また発言させる必要があると思う。この点に若干問題があると思つたので、まず第一に指摘した点であります。
これは私の考えが間違つて、國税で地方税に関係ないというなら別でありますが、しかしながら地方税に関係ありとすれば、予定外の收入があるというようにもなるのではないかというように存ずるのであります。
つまり最高裁判所は法務廳と違つて、國会に対して直接責任を負うことがない、從つて適当でない。こういうふうな御意見があるやに聞いておるのでありますが、しかしこの点につきましては、あまり多く意に介する必要がないように私は考えます。
現在警察法施行当時都道府縣の所有であつたものを、都道府縣の所有にしておきますれば、それだけ都道府縣の財産というものは留保されるわけではありますけれども、今まで警察の機能を営んでおつたその機能が國に移り、市町村に移るのであるから、同じようなことを國の立場においてやるということであつて、人民の生命、身体、財産の保護というようなことについては、國の警察になつたから、都道府縣の警察のときと考え方がまるで違つて、國
過去に騒がしたということを取上げるということは事の性質上どうかとむしろ思うので、それと違つて國会の品位を、議院の品位を傷つけたというような場合には、傷つけた行爲が過去にあつても、現在のとにかく國会の品位は現に傷つけられておるというような場合は、行爲が過去であつても、やはり取上げ得るのではないか、その点会期不継続の原則とはどういうふうな関係があるか、会期不継続の原則というのは何だか本を読みますと、英國
それも次のものを出さして呉れればよいのですけれども、命令があるまでは出させられないのですが、決して自分が物を持つておらないのではなくして、持つておるものを國家が出させないということからして、要するに納税にまで響いて來るということなんで、これは他の業種と違つて國家の計画に基いて賣るとか賣らないとかやつておることであるからして、特にそういう金詰りによるところの納税の苦心というような点について、何らかの金融的
性格といたしましては第三條に、單に普通の國家機関とは違つて、「國の立場に立つと同時に、地方公共團体の立場を全國的に代表する機関」であるというところに特色を持つて行くようにいたしておるわけであります。それが働きます場合には、そういう地方團体の立場を十分に反映をする機関でなければならない、こういうわけであります。
同時に國の祝祭日をきめるのに、多数少数を爭つてきめるのは、ほかの問題と違つて國の祝祭日の決定のために惜しむので、そこで私は申し上げるのです。
公務員法その他を受けておる一般の人たちと違つて、國家がこれを見なかつたならば、たれも見てくれる人がないという状態でありますから、その人たちを見ることは、決してあの指令に違反してない。その意味におきまして、私は白衣の勇士たちを國家が扱うことは決して優先的な扱いでないというふうに解釋しております。この點はただいまの兒童福祉法案とは違いますから、別な機會に讓りましてお伺いしたいと思います。
ところが金澤のスポーツ大會はこれは外の種類のものと違つて國家的のものであるからよいじやないかというお設が出ました。確かにいろいろな會につきましてそれは判斷を下すのは、或線は、線の上にある場合は非常に困難な場合もあると思いますけれども、併し本件については皆さんも大體御異議ないようでありますから……。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
從來と違つて國庫から國民の税金をお上げして、それによつて災害のあつた場合に、お見舞或いは義捐金、その他の御奬勵に御下賜になるということは、封建的なやり方でないかという御話もありましたが、私共はこれらの事柄はもつと充實したやり方をして頂きたい。何といたしましても國家の象徴であり、國民結合の象徴であつて、國民全般の崇敬の頂點であるので、親樣と差はないのであります。
前の貴族院時代の議員のように、或る少数の團体の互選によつて選ばれ、或いは又勅撰によつて選ばれたのと違つて、國民から選ばれた我々の参議院が、こういうふうに院の外の人であつても、文化のために貢献せられた偉大なる人物が亡くなつた場合に弔詞を呈するというような例が開かれますることは、この参議院として性格が明らかになる上で、非常に喜ばしいことと私は思うのであります。